2008年08月22日
武田美保さんインタビュー vol.3
「ハラハラドキドキさせてくれるような演技を期待したい」
「どこがメダルをとってもおかしくない」と言われるほど、実力が拮抗している今回のシンクロナイズドスイミング(以下、シンクロ)。長年ライバルとして、金・銀を争ってきたロシアをはじめ、実力を伸ばしてきた他の国々との戦いの行方は、本番を迎えるまで分からなそうだ。
日本は、アテネ五輪まで引っ張ってきた立花美哉さん、武田美保さんのデュエットコンビや井村雅代コーチが抜け、新しいメンバーでどのような演技を見せるのか。順位もさることながら、演目にも注目が集まります。
今回は、アトランタ、シドニー、アテネと3回の五輪に出場した武田美保さんに、各大会の思い出と北京五輪での見所などをお伺いしました。本インタビューは、全3回でお届けします。
――― アテネ五輪でも、チームとデュエットで出場されることになりますが、ともにいい状態で入ることはできましたか?
最後のアテネ五輪のときは、自分自身を統制できました。すごく達成感を得られた大会になりました。
シドニー五輪後、勝ったり負けたりを繰り返していました。
その間「もう年齢的にも引退してもいいかな」とも思ったのですが、このまま引退して、テレビでアテネ五輪を見ているときに、この演技だったら、「勝てたかも」とか、なんか「やってたら…」と考えてしまうのではないか、と思ったんです。それは嫌だなと。決断までは時間がかかりましたが、アテネ五輪までは、続けようと心に決めました。
――― 途中で引退も決意されていたんですね。結局、アテネが最後の五輪となりますが、同大会の感想を教えていただけますでしょうか。
もうここまでやって、これだったら、もういいわ!と思えるところまでやっていきたいなと思ったので、かなり決断までには時間がかかりましたが、28歳(アテネ)までは続けようと思って。
で、アテネは個人的にはすごく、自分をコントロールした達成感がありました。ピークの持って行き方が、経験値として分かっていて。なので、選考会でも、もちろんピークを持ってくるんですが、その後の練習でも気持ちが切れないようにしました。
苦い経験が生かされて、選考会の後とかも、練習にもすごく意欲的にできました。もちろん年齢やキャリアの面で、チームを引っ張っていく役割だから、というのもありましたが、はっきりと目標を定め、都度到達しているかを確認して、成長していくことができました。
とにかく、やり残しをなくそうと思い、1年間続けてきました。
なので、毎日が充実していました。それまでに自分の中に蓄積した膨大な数のファイリングがあったから、アテネ五輪本番では、特別なことをせず、いつもと同じく、客観的に自分を見つめることができました。
でも、ビデオでそのときの演技を見たら、まだまだ、と思う面がありました。でも、選手として、どうありたいか、どのように大会を迎えたいか、五輪をどのように制したいか、という観点で考えたときに、すべての項目で合格点だったので、とてもすがすがしい気持ちで引退を迎えられました。
――― アテネ五輪の1年前に、ガラッと演技構成を変えたかと思いますが、それに対する不安はありませんでしたか?
特にありませんでしたね。子どものころから、基本を徹底的にされたので、基本がぶれなければ、どんなテーマが来ても大丈夫でした。
むしろ、間に合うかなというよりも、立花さんともう8年も組んでいるんだから、申し合わせなくても、自然と足の角度などが合ってくるんです。
組んだ当初は、足の長さは違うし、柔軟性は違うし、バラバラなので、それを埋め合わせる作業から行っていきます。例えば、初動の角度は30度で、横にいくときには、45度になって、次に60度になって…と、足を一周回すだけでも、微妙に角度を変えているんです。
それを一つずつ確認をしていって、お互いの体に覚え込ませます。だから、テーマが変わっても、すぐに対応できるようになります。また、むしろ前のものに固執して、同調性を高めていくよりも、ロシアに対して、もっとチャレンジしていけると思える演技なら、何でもする!と思っていました。
――― 逆に自分たちで、コーチなどが考えたものに対して、意見することってありませんでしたか?
シドニー五輪後ですね。同じ失敗を繰り返したくないと思ったのと、転機があって…。
世界水泳・福岡のときに、私たちはチームでは出場しませんでした。メンバーからわざとはずれて、私はデュエットに、立花さんは、ソロとデュエットに専念したんです。
だから、合宿が3人だけでした。今まではコーチと選手、という会話だったのですが、合宿を通じて、普通のコミュニケーション、シンクロ以外のことが増えてきて…。そうすると、普段先生が考えている何気ない話が、先生はこう思って、人に接しているんだ、とか、すごい理解が深まりました。
逆に先生も、私のことを理解していただけるようになりました。立花さんがソロの練習をやっているときに、私がずっと課題だった高さとか、どうやったらうまく見せられるだろうか、とか、自分磨きに時間がとれたんです。
その間に、井村コーチと話しながら、一緒に作り上げていく楽しみを覚えました。
このときに、アテネ五輪まで続けてよかったと感じました。コーチとの関係が、人間対人間というふうに変われたのも、後々の人生含めて考えても、本当によかったと思っています。
| ■武田美保(たけだ みほ) 1976年京都府・京都市生まれ。5歳から水泳を始め、7歳からシンクロコースに入門。13歳の時に、井村シンクロクラブに移籍。1997年より立花美哉選手とデュエットを組み、その後日本選手権7連覇を果した。アトランタ五輪、シドニー五輪、アテネ五輪の3つの五輪で、銀・銅・合わせて5つのメダルを獲得。引退後は表現の道をさらに高めるべくラスベガスへ短期留学。柔軟性を高めるためにネバダ州立大学発行のピラティスインストラクター公認資格を取得。DVDと書籍にて『ピラティスライフ』をリリースし、スタジオのプログラム作成にも参画(こころこあボディ&スピリット)。ミズノ「スピード・アクアライフアドバイザー」、CM出演、水着のデザインなどさまざまなジャンルに挑戦しながら新たなシンクロの普及に努める。 >武田美保blog それいけタケミホ |
