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インタビュー

2008年08月21日

武田美保さんインタビュー vol.2

「ハラハラドキドキさせてくれるような演技を期待したい」

「どこがメダルをとってもおかしくない」と言われるほど、実力が拮抗している今回のシンクロナイズドスイミング(以下、シンクロ)。長年ライバルとして、金・銀を争ってきたロシアをはじめ、実力を伸ばしてきた他の国々との戦いの行方は、本番を迎えるまで分からなそうだ。

日本は、アテネ五輪まで引っ張ってきた立花美哉さん、武田美保さんのデュエットコンビや井村雅代コーチが抜け、新しいメンバーでどのような演技を見せるのか。順位もさることながら、演目にも注目が集まります。

今回は、アトランタ、シドニー、アテネと3回の五輪に出場した武田美保さんに、各大会の思い出と北京五輪での見所などをお伺いしました。

――― アトランタ五輪(1996年)を経験して、ほかの国際大会との違いも実感されたかと思います。その違いと、アトランタの次の五輪(シドニー大会)のときのお話を聞かせていただけますでしょうか。

武田美保さん

周りの注目度が違いますよね。観客数が全く違います。子どものころから、五輪は、テレビにかじりつくようにして見ていました。「あの舞台に、自分が立てるんだから」と思うと、自分の思い通りの演技ができて、成績もそれに見合って、終えたいなと。

そういう思いを持って、シドニー五輪への4年間が始まりました。アトランタ五輪では、チームだけの演技だったのですが、シドニーでは、デュエットが復活して、チームとデュエットの2つに出場しました。

アトランタ五輪の経験値があったから、シドニーのときは、すごく冷静に舞台に立てました。いい意味での緊張感、高揚感があって、胸をはって、思いっきり自信をもって、出ていけたんです。

私たちが、空手のポーズをとって瞬間に、会場がものすごい沸きました。アトランタ五輪のとき以上のお客さんがいて、歓声の大音量が空気を振るわせて、私たちの立つ土台を揺らしたんでしょうね。地響きみたいに足下がゆれたのを今でも覚えています。絶対に素晴らしい演技ができるに違いないと信じて泳ぎました。

実は、そう感じたのは、8人全員で…。終わった後、選手同士で話をしていたら、「地震みたいだったんだよね。行けると思ったんだよね!」とみんな、口々に言ってたんです。同じ感覚になれていたからだと思うんですけど、演技が終わっても、まだ余力が残っているくらい元気に泳ぎ終えられた。

演技を終えてから、なかなか演技をほめてくださらない先生からも、大きな丸印が出たんです。点数うんぬんよりも、泳いだ後の手応えや、先生から「今までの中で本当に最高だった。歴史に残る演技をしてくれた」とおっしゃっていただいたことが、本当にうれしかったんです。それまで、先生から、そんなほめられ方をしたことはなくて…。

シドニーでちゃんと、五輪に向けてのトレーニングという意識をもって、五輪でメダルをとるためには、こういうレベルの技術が必要で、そのためには、どんな練習が必要で、どんな練習をしていくか、ということをちゃんと自分の中で、理解をしていて。で、場を制して、あの歓声の中、どんどん、どんどん手拍子などが鳴っていて。

集中していると、クリアに手拍子の音などが聞こえてくるんですよね。水の中だと、あんまり聞こえなさそうなんですが、集中していたら、音とか、水の感触とかに、すごい敏感になると思います。そんな感じでした。

――― チームでは、非常にいい状態で演技も出来たとのことですが、一方のデュエットはいかがでしたか?

武田美保さん
チームみたいな、いつもの演技をすれば大丈夫、というところまで、私自身が持って行けてなかったんですね。立花美哉さんと、デュエットを組んで、まだパートナーとしての自分の泳ぎ方というのを確立できていなかったんです。

やはり、高さの面で壁がありました。私の足がすべて水面上に出ていたとしても、立花さんの足が全部出ていたら低いので…。能力以上のことを、パートナーとして求められたんです。でも、全部以上出すというのは、難しくて。

高さだけではなくて、できていないまま大会に出る。しかもそれが、五輪というのは、やってはいけないことなんだな、と思いました。「不安って、こういう形で出るんだ」というのを、シドニーのデュエットで初めて痛感しました。

フリールーティン決勝で、スローパートのときに、立花さんと私の足が接触したんです。たぶん不安を乗り越えられなかったんですね。筋肉などを過緊張で、萎縮させてしまっていたんだと思います。

動作の一つひとつに、かなり細かいポジションを決めているんです。だけど、本番のときに、ポジションどりがうまく行っていないのが、入る直前まで気づけていなかったんです。

いつもは、腰の位置くらいに立花さんがいるはずなのに、胸の位置あたりにいて。入る瞬間に「あ、近すぎる」と思ったんですが、遅すぎて。練習をやっていて、一度もそんなミスしたことないのに、決勝で初めてのミスをおかしてしまいました。足が当った感触だけが残っていて。「今のって?今のって!?」みたいな感じで、信じられない気持ちを引きずったまま、最後まで行ってしまいました。

もうカバーしようとかじゃなくて、足の感触が離れないんですよ。当たった…。井村先生も、ほとんどコメントがなかったですね、終わってから。

――― チームとデュエットで、全然心理状態も、状況も違ったんですね。色としては、同じメダルですけどね。

うーん…テクニカルルーティーンが、割といい出来だったので、もっと金メダルに届かなくとも、ロシアに点数でクロスできるんじゃないかと思っていました。

この五輪の翌年に、初めての国内で世界水泳が開催されました。なので、クロスすることで、次へのシーズンに弾みをつけたかったので、ショックというより、1年間の練習を無にしてしまったという思いから、脱力感を覚えました。

――― つまり、アトランタ五輪とは、また違う宿題を持ち帰ってしまったわけですね。

そうですね。チームは、大成功だったですが…。
五輪で一番いいメンタルの状態で出られたのと、最悪なメンタルで出た、というのを両方を体験できたので、自分の経験値としてはかなり大きかったです。

だから、アテネ五輪では、デュエットもチームも2種目とも、いいメンタルで出たい!と思っていました。

■武田美保(たけだ みほ)
1976年京都府・京都市生まれ。5歳から水泳を始め、7歳からシンクロコースに入門。13歳の時に、井村シンクロクラブに移籍。1997年より立花美哉選手とデュエットを組み、その後日本選手権7連覇を果した。アトランタ五輪、シドニー五輪、アテネ五輪の3つの五輪で、銀・銅・合わせて5つのメダルを獲得。引退後は表現の道をさらに高めるべくラスベガスへ短期留学。柔軟性を高めるためにネバダ州立大学発行のピラティスインストラクター公認資格を取得。DVDと書籍にて『ピラティスライフ』をリリースし、スタジオのプログラム作成にも参画(こころこあボディ&スピリット)。ミズノ「スピード・アクアライフアドバイザー」、CM出演、水着のデザインなどさまざまなジャンルに挑戦しながら新たなシンクロの普及に努める。

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