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インタビュー

2008年08月20日

武田美保さんインタビュー vol.1

「ハラハラドキドキさせてくれるような演技を期待したい」

「どこがメダルをとってもおかしくない」と言われるほど、実力が拮抗している今回のシンクロナイズドスイミング(以下、シンクロ)。長年ライバルとして、金・銀を争ってきたロシアをはじめ、実力を伸ばしてきた他の国々との戦いの行方は、本番を迎えるまで分からなそうだ。

日本は、アテネ五輪まで引っ張ってきた立花美哉さん、武田美保さんのデュエットコンビや井村雅代コーチが抜け、新しいメンバーでどのような演技を見せるのか。順位もさることながら、演目にも注目が集まります。

今回は、アトランタ、シドニー、アテネと3回の五輪に出場した武田美保さんに、各大会の思い出と北京五輪での見所などをお伺いしました。本インタビューは、全3回でお届けします。

――― 五輪に3大会連続で出場されていらっしゃいますが、どの五輪が一番、印象に残っていますか?

やっぱりそれぞれに思い出があって、比較ができないんですね。3つとも強烈な印象なので、一番とかの順番をつけられないんですよ。

――― それでは、まずアトランタ五輪のときの印象から、詳しくお聞かせいただけますでしょうか。

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アトランタ五輪のときが一番、メダルをとらなければ、というプレッシャーを感じていました。五輪の前年度は重要なんですが、その前年の大会で、4位になってしまって…。今まで先輩方がずっと取り続けていたメダルを逃してしまいました。

ただ、翌日に五輪予選がある特殊な大会で、その大会自体は4位だったのですが、同じ演技をして、翌日の五輪予選では、かろうじて3位で帰国することができました。それでも、今までの中で一番メダルが危ぶまれていましたね。

先輩たちが引退されて、新しい私たちの代でメダルがないというのは、本当にもう、今までの歴史に傷を付けてしまうというのがありました。まわりからも「メダルは固いだろう」と思われていたので、メダルがとれなかったら、どうしよう、と思っていました。

その一方で、子どものころからなりたかった、五輪代表のメンバーに入ることに照準が合ってしまっていたため、その後、うまく気持ちをもっていけなくて、練習もただ過ごすだけになってしまいました。

初めての五輪なのに、「こうなりたい!」というのを全然持たなかったので、10時間も練習したのに、何も残っていかないんですよ。ただ無味乾燥で。長くプールにいて、だんだん疲れてきて、集中力も途切れてきて…と、最後の最後まで、そのような状態を引きずってしまいました。

本番のアトランタの舞台に立ち、我にかえった瞬間、「どんなふうな動きをすればいいんだろう?」というくらい、わからなかったんですよ。とにかく、先輩方や先生たちに「こっちだ」と引っ張ってもらって…。

終わってみたら、銅メダルだったんで、「これで、シンクロの先輩方が築き上げてこられた栄光を傷つけずに帰国できるわ」と思ったものの、終わった後に「やめたいな」と初めて思ったくらい、シンクロがつまらないものになっていました。自ら「こうなりたい、だからこの練習が必要。一歩ずつでもいいから、うまくなっていこう」という気持ちを持たない練習だと、嫌いになっちゃうんですね。

――― それまでは、できなくても、負けず嫌いの性格も手伝って、伸びていこうというのがあったのに、五輪に出たいという思いが強すぎて、一息ついてしまったんでしょうか。

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たぶん、そういうことが起こってしまって…。初めての五輪でメダルをもらったのに、「明日、水に入らなくてもいいんだ」ということが一番うれしかったんです。何かが違いますよね。

こどものときには、あんなに「あれはかっこいいな」「あんなふうになりたいな」と、本当に四六時中、そんなことばかり考えていたので、しんどい練習とか、これ以上やったら、死んじゃう!というメニューをやっても、五輪選手になれるためなら、できたんです。

なのに、いざ五輪を終えてみると、すっごい空虚で、夢がかなうって、こんなに空虚な気持ちになるのかな?というのが一番最初の五輪でした。

そこから改めて、日々の練習での時間の使い方とか、こうなりたい!ということをしっかりと考えました。それからは、自分に限界を作らず、日々進歩していることを実感していくことができました。もちろん、体はすごく疲れますし、毎日酸欠とかになりそうでしたが、それでも「良かった!今日も一つ進んだ」と感じられるのがうれしくて。そのうれしさがモチベーションになり、続ける原動力になりました。

――― アトランタ五輪での苦い経験があったからこそ、シドニー五輪へとつながったんですよね?

そうですね。アトランタ五輪以降、練習に取り組むスタンスが大きく変わりましたね。やっぱり、子どものときのように、本当にうまくなりたい!うまくなれるた!と、シンクロに没頭して、競技人生を終えたいというのがありました。

アトランタのときは、子どものころからの夢だけあって、自分のピークを「五輪に行くこと」に持ってきてしまいました。それくらい、特別なものでした。

■武田美保(たけだ みほ)
1976年京都府・京都市生まれ。5歳から水泳を始め、7歳からシンクロコースに入門。13歳の時に、井村シンクロクラブに移籍。1997年より立花美哉選手とデュエットを組み、その後日本選手権7連覇を果した。アトランタ五輪、シドニー五輪、アテネ五輪の3つの五輪で、銀・銅・合わせて5つのメダルを獲得。引退後は表現の道をさらに高めるべくラスベガスへ短期留学。柔軟性を高めるためにネバダ州立大学発行のピラティスインストラクター公認資格を取得。DVDと書籍にて『ピラティスライフ』をリリースし、スタジオのプログラム作成にも参画(こころこあボディ&スピリット)。ミズノ「スピード・アクアライフアドバイザー」、CM出演、水着のデザインなどさまざまなジャンルに挑戦しながら新たなシンクロの普及に努める。

武田美保blog それいけタケミホ